Copy
沈黙の中で神がなさること

ケン  
先ごろ、2ヶ月半にわたるサバティカル休暇が終わりました。今も継続的に大きな影響を受け続けている経験は何かと振り返ってみると、カリフォリニアのビッグ・サーにあるベネディクト会修道院における4日間の静まりの時だったように思います。
 
これまでも長年にわたり、15分から20分の黙想の祈りを毎朝の日課としてきました。それは私にとって助けにはなっていたものの、気が散ってどのくらい時間がたったかとか、その日にやることが頭に浮かぶこともよくありました。しかし、カリフォルニアの修道院にいる間、沈黙を通して神とより深い交わりが持てたように感じます。
 
私にとって実際的な助けとなったのは、日本に遣わされたカナダ人宣教師イレイン・マキネスの本から学んだ黙想の方法でした。クリスチャンとして彼女は、日本の禅僧に座禅の仕方について聞いてみました。禅僧は鼻から深く息を吸い、吐くことを勧めました。気が散ったときは呼吸に集中し、1から10まで呼吸を数えます。「息を吸うときは奇数、そして息を吐くときは偶数で10まで数えてください。それを繰り返します。」私も彼女と同様、クリスチャンとして禅僧から学ぶことができると思いました。1を数えながら息を吸い、2を数えながら息を吐き、3で吸い、4で吐く……というこのパターンは、確かにさまざまなことが浮かんでしまう私の頭を落ち着かせ、神の御臨在により気がつくようになりました。
 
5世紀の偉大な霊性の父と言われるジョン・キャシアンは、修道士たちが祈り、黙想している間籠を編むよう教えました。というのも、単純な肉体作業が心と頭を鎮めるのに大いに役立つと理解していたからです。おそらくみなさんの中にも、自分の息に集中したり、数を数えるといった簡単な作業を頭にさせることによって、心や頭が落ち着くように感じる人がいるでしょう。
 
修道院で過ごしたのち、私はアンドリュー・ニューバーグとマーク・ウォールドマンというクリスチャンではない科学者が書いた本を読みました。その本には、黙想が神経学的にどのように私たちの脳を変えるかが書いてありました。CTスキャンによると、黙想は頭頂葉の活動を減らすことがわかると彼らは指摘しています。それが起こると自己の感覚がなくなり、私たちは観想をしている対象と一体化するようになります。時間の感覚を失うほど完全に何かに集中しているこの状態をハンガリア人の精神科医ミハイ・チーセントは「フロー(flow)」と表現しました。一方、優れたアスリートたちが重要な場面で極限まで集中し、まるでスローモーションでプレイしているかのように感じる体験は「ゾーン(zone)」と呼ばれています。
 
神は、常に私たちと共におられます。祈りにおいて私たちは、神を呼び覚ますわけではありません。ただ、私たちが常に存在しておられる神に目覚めるだけです。頭頂葉での活動を減少させる黙想は、私たちとこの世のすべてを愛し、支えておられる神と一つになる感覚をより鮮明にしてくれます。
 
深い呼吸を伴う黙想を行うとき、脳の中でそのような神経学的変化が起こるだけでなく、私たちクリスチャンは神の霊と交わっていると信じています。実際私たちの息は、神の息を経験する入り口です。ある神学者は、神の名であるヤーウェは名前というよりも、呼吸を表したものだと主張しています。ヤー(Yah)で息を吸い、ウェ(Weh)で息を吐きます。旧約聖書でヘブル語のruachは「息」あるいは「霊」と訳されています。同様に、新約聖書でギリシャ語のpneumaも「息」あるいは「霊」と訳されています。呼吸はまさに、私たちが十分に神の息(霊)を吸うための手段なのかもしれません。時間をかけて深い呼吸をし、神の御臨在を意識することは、ただ単に肉体が息を必要としているだけでなく、私たちの霊も絶えず神の霊に頼らずして生きていけないことを思い起こさせてくれます。朝の黙想が終わると、私は神の御臨在にさらに意識が向くように感じます。
 
黙想は、不安や怒りといった否定的な感情をも減少させることをニューバーグとウォールドマンは認めています。毎日20分から30分の黙想を2ヶ月間継続するだけで、脳の扁桃体(不安、怒り、妬み、嫉妬などの感情を起こす場所)における活動の減少が見られたことがCTスキャンによって明らかにされています。
 
さらに私たちクリスチャンは、神の御臨在の元で黙想的な呼吸をするとき、神が私たちを癒し、変容させてくださると信じています。息を吸うとき、私たちは文字通りまさに神の息−−神の癒し、愛、平安を吸い込むことができます。息を吐くとき、自らの罪、心の傷、フラストレーションや怒りから解放されます。
 
みなさんの中には、黙想は時間の無駄のように感じている方がいるかもしれません。しかし、私にとって黙想は1日の中で最も大切な時間となっています。黙想が終わると、神によって支えられ、その日の仕事に向き合う準備が整うように感じます。毎朝行うエクササイズと同様、神の御臨在に対して敏感になるため、朝の黙想はその日1日にとって欠かせないものだと思っています。
 
サバティカル休暇中、高齢化が進む教会の再生をテーマにした博士号論文を読みました。その論文の執筆者に私はメールで質問してみました。「停滞する教会を再生しようと試みる牧師に一言アドバイスを与えるとしたら、何と言いますか。」すると、こういう答えが返ってきました。「まず、酸素マスクを着用することだね。」(訳注:これは、飛行中の機内で非常事態が発生した際着用する酸素マスクのことと思われます。まず自分の酸素を確保しないと、他の人を助けることができないという意味でしょう。)神の御臨在の中で深く呼吸する時間を取ることは、霊的な酸素マスクをつけることに他なりません。
 
10分あるいは30分時間をとって黙想することは、身勝手で贅沢な時間のように思われるかもしれませんが、それなくしては、注意力が散漫で枯渇した自分自身を人々に提供してしまうだけです。黙想の時間を取ることができれば、喜びが増し、不安が減少し、神とより深い一体感を経験することができるでしょう。そうすることで牧師、あるいはクリスチャンリーダーとしてさらに豊かないのちを人々に提供することができるのです。安定と活力を与え、その日の方向性を決定するこの習慣を持つことは、自分自身というこの世に捧げることができる唯一の賜物をより良く管理することに他なりません。
・5月7日から21日まで、ケンはテンス教会の30人の参加者と共にイスラエル巡礼の旅に出かけています。旅の安全と祝福をお祈りしていただけたら、感謝です。
・以前ニュースレターの中でもお話ししましたスーザン・フィリップス著『修養する生活』が6月はじめに出版されます。「いのちのことば」誌6月号の特集で、霊的同伴とこの本について私が短い記事を書かせていただいております。お読みいただけたら幸いです。また5月21日から6月1日までリージェント神学校のサマースクールでスーザン先生が教えられる霊的同伴と友情についての講義を受講する予定です。普段は2ヶ月おきの配信ですが、次回は本の出版に合わせて6月のはじめに「いのちのことば」誌で書かせていただいた記事と共にスーザン先生の授業のレポートもお送りできたらと考えています。
・ニュースレターに関するご意見・ご感想がございましたら、sakikoshigematsu@hotmail.com(重松早基子)までご連絡ください。過去のニュースレターは、こちらからご覧いただけます。






This email was sent to <<Email Address>>
why did I get this?    unsubscribe from this list    update subscription preferences
Tenth Church · 11 West Tenth Avenue · Vancouver, BC V5Y 1R5 · Canada

Email Marketing Powered by Mailchimp