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フランクリン・グラハム騒動の渦中で
ケン 
 3月初めにフランクリン・グラハム大会が私の地元バンクーバーで開かれる際に大きな論争を呼び、私自身もその渦中に巻き込まれていました。
 
 私にとってフランクリンの親族との関係はとても大切で、特別な思いがあります。フランクリンの叔父であるレイトン・フォードは、私の長年のメンターです。彼の姉のアン・グラハム・ロッツや父ビリー・グラハムとは、ある神学校の理事として7年にわたり共に奉仕したことがあります。しかし、同性愛者をサタンの手先と公言し、イスラム教徒の米国入国禁止を支持するフランクリンが、政治的にリベラル寄りのこの街で福音を語るのは適切ではないと、私を含む5名のクリスチャン・リーダーは感じました。福音そのものより、注目が「希望の祭典」をめぐる是非に集まることも懸念しました。
 
 私たち5人のリーダーは、別のスピーカーを送るようビリー・グラハム伝統協会に要請する私的なメモを「希望の祭典」を主催する地元のリーダーたちに送りました。しかし、そのメモが報道機関にリークされ、話が公になってしまいました。
 
 さらに、1月29日ケベック市のモスクでトランプ大統領の支持者と名乗る若者が起こした銃撃事件が事をより複雑なものにしました。公にはトランプ支持を表明していませんが、大統領選での勝利は「神の御手」によるものとフランクリンは言っています。アメリカ人クリスチャンの中には、現アメリカ政府の価値観は神の御国を反映したものと言う人がいることにも、多くのカナダ人クリスチャンが困惑しています。フランクリンのコメントやトランプ大統領との関係から、彼の訪問がこの街でも暴力行為を誘発しかねないと懸念したバンクーバーのグレゴール・ロバートソン市長は記者会見を開き、別のスピーカーに変更するよう公に要請しました。
 
 別のスピーカーを希望しながらも、私たちはフランクリンが主宰する慈善団体サマリタンズ・パースを支持し、「希望の祭典」をサポートしているクリスチャンたちを敬愛しています。しかし、世間ではキリスト教の福音派は反同性愛者で、他の社会問題でもアメリカの共和党と同調していると見るこの街ではなおさら、同性愛者もイスラム教徒も受け入れる福音の懐の深さを強調すべきだと思いました。
 
  フランクリンの訪問に際し論議が起こったのは、カナダだけではありません。私は生まれ故郷である日本に定期的に行って奉仕をしていますが、1年半ほど前ある牧師から、フランクリンの訪問をめぐり日本でも過去に反対の声が上がったことを聞きました。山上垂訓にある「あなたの敵を愛しなさい」という言葉は個人に与えられたもので、国家に与えられたものではないとし、9・11の後イスラム教過激派組織に対しては核兵器使用も辞さないなど、戦争に関する過激な発言で、今回のバンクーバーと同様、沖縄でも牧師の間で彼の受け入れに賛否が分かれました。また、特定の政治家支持を表明したことで、東京と広島で行われる予定だったグラハム大会が中止に追い込まれたこともあります。日本の牧師と交わした会話を通して、私はこの問題をうやむやにしないことの重要性を確認しました。
 
 ガラテヤ人への手紙2章では、異邦人と一緒に食事をすること避けて、まるで福音が異邦人を排除しているかのように行動したペテロに対しパウロが抗議しています。同じように、だれでも受け入れるという福音の認識が脅かされているとき、公開書簡を書いて私たちときちんとした話し合いを持つようフランクリンに求めることにより、懐の深い福音のあわれみを確認する必要がありました。
 
 聖書は政治的指導者を敬い、彼らのために祈ることを求めていますが(ローマ13章)、闇の力の影響を受ける政府を象徴する、海からの獣と結託してはならないとも警告しています(黙示録13章)。アパルトヘイトに反対した南アフリカの著名な牧師アーラン・ボエサックは、政治が力と権威を持つのは神の力と権威を反映する場合のみだと言っています。
 
 一般的に、私たちクリスチャン・リーダーは個人的な政治的コメントを避けるのが賢明です。しかし、時として公の場で宗教、政治、あるいは道徳の問題について勇気を持って語る必要があります。歴史的に見ても、明治天皇の写真に最敬礼をすることを拒否した内村鑑三、第2次世界大戦中に日本政府の軍国主義を非難した経済学者で無教会派キリスト教の指導者矢内原忠雄、反ナチ運動をしたディートリッヒ・ボンヘッファー、南アフリカのデズモンド・ツツやアメリカのマーティン・キング牧師などの例が挙げられます。
 
 論議が分裂し、妥協案を逸してしまうとき、私たちは聖霊の助けを受けながら、敬意と謙遜な態度をもって道徳的な問題に対する自分の信念を率直に明かすことが求められます。
 
 第2次湾岸戦争が始まる前、一部のメディアがブッシュ大統領のイラクに対する先制攻撃プランをイスラム教に対する「キリスト教の聖戦」と表現しました。2003年3月の攻撃が開始される直前、全国放送のあるラジオ番組がトロント在住のイスラム教指導者と私にインタビューしてきました。この戦争は、クリスチャンの聖戦という観点で正当化できると私も考えているかと聞かれました。まず私はブッシュ大統領をキリストにある兄弟と認めた上で、先制攻撃をする必然性を聖書からは読み取れないと言いました。特に、サダム・フセインが大量破壊兵器を所有している確固たる証拠がない現状では。このような状況下では、外交的手段を模索することが望ましいと私は答えました。
 
 フランクリンがバンクーバーを訪れる直前、ワシントンポスト紙からインタビューを受けた際も(その記事はこちらから)私はフランクリン個人を非難しているのではなく、だれでも受け入れるという福音のビジョンを曲げたくなかっただけだと言いました。
 
 私たちは率直でありながらも、相手に敬意を払うことができると思います。クリスチャンの間で意見が分かれるとき、別の考えを持つ人の内にも神の御姿を認めつつ、愛と謙遜な態度を持って議論することができます。謙遜な心は、自分の考えに限界や欠点があることを認める助けにもなります。
 
 私たちはフランクリンの代わりのスピーカーを求めましたが、希望の祭典のボイコットを促したりはしませんでした。むしろ、神がフランクリンや伝道チームを用いて、多くの人をキリストに導くことができるように祈りました。今大会で1900名ほどの人が信仰告白や再び信仰を新たにしたことに対して、私は深く感謝しています。フランクリンへの公開書簡に署名した私たちはまた、この集会を主催した地元のリーダーたちをランチに誘い、これからも彼らとの関係を継続させ、引き続きキリストのため共に働く意志を確認し合いました。(リークしたメモとは違い、残念ながら、このランチの件は新聞のトップニュースにはなりませんでした。)
 
 もし、ノースカロライナのグラハム家の集いでフランクリンに会えば、彼と話をし、サマリタンズ・パースなどの大切な働きに感謝し、彼の家族や親戚に対する感謝の気持ちを述べるつもりです。彼からも、学びたいと思います。と同時に、恵みをもって真実を語り続けたいと願っています。そうすることによって、イエスのすばらしいご人格を忠実にこの世に示すというクリスチャン共通の願いを叶えることができるようになるでしょう。
沼地に流れを
早基子
 遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』の中で、キリスト教が根付かない日本の土壌を「沼地」と表現されていたとか。ケンは上映後すぐ観に行きましたが、一緒に行く予定だった私は都合がつかなくて、結局観ることができませんでした(本は読んでいます)。ですから、私の解釈は映画とズレているかもしれませんが、この「沼地」という言葉から教会のあり方について考えさせられたことがあります。
 
  いま私は、サンフランシスコ神学校でのケンの恩師であり、プロテスタントでは先駆者的な霊的同伴者(スピリチュアル・ディレクター)として有名なスーザン・フィリップス先生の『The Cultivated Life』という霊的形成の本を翻訳しています。その本の中で「恵みの形態は流れです」という言葉があり、恵みを受けた人を通して、恵みが人から人へと流れて行く様子がくり返し描かれています。そのような文章を訳しながら、確かにその通りだと思いながらも、日本では恵みの流れが悪いように感じていました。
 
 そんな折「沼地」という言葉を聞いて、エゼキエル書47章の言葉を思い出しました。神殿から流れ出る水が、やがて大きな川となっていく箇所です。その川が流れて行く所には多くの魚が住み、川の両岸ではあらゆる果樹が成長して豊かに実を実らせ、その葉はいやしを与えます。「しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。」(エゼキエル47・11)と書いてあります。恵みの形態は流れなので、流れが止まってしまった沼地には恵みもいのちもありません。
 
 確かに『沈黙』の時代は、幕府の激しい迫害によって恵みの流れがせき止められましたが、今の時代も有形無形の規則や制度が日本の社会だけでなく、教会の中にも存在し、恵みや聖霊の流れを止めているところが見受けられます。これは日本の教会だけの話ではありませんが、自分の教会の成長や祝福だけを考え、与えられた恵みを外に流さない教会も「沼地」の状態だと思います。
 
 前回のニュースレターで(その記事はこちらから)、ケンがテンス教会に赴任した当初の惨憺たる状況と転機となった聖霊の言葉についてご紹介しましたが、役員や信徒の中には縮小し続ける教会に歯止めをかけるには、ホームレス・ミニストリーのような外に向けた奉仕ではなく、教会員だけに向けたミニストリーに力を注ぐようケンに圧力をかけてきた人が多くいたそうです。人間的な考え方では確かにそうすることが妥当で安全のように見えますが、神のやり方は人間のものとは違います。 今から思えば、ケンが聞いた「返すことができない人を祝福しなさい」という聖霊からの言葉が恵みの流れを作ったように思えます。自分に返ってくることを期待してだれかに良くしても、流れは逆流して滞ります。神の豊かさを信じて、たとえ貧しい時も喜びをもって恵みを人に分け与え、流し続けていく時に、私たちは聖霊の流れの中に留まることができるのではないでしょうか。
 
 教会が貧しく、うまくいっていない時から与える精神は培われ、それが今のテンス教会の特長の一つとなっています。今年の1月、ケンはワールドビジョン・カナダから世界の貧しい子どもたちに貢献したとして「Hero for Children」という賞を受賞しました。(礼拝やセミナーなどを通して人身売買や貧しい子どもたちの置かれている現状を知る機会を作り、この5、6年だけでも500,000カナダドル(約4,386万円)以上の寄付をテンスからワールドビジョンに贈ることができました。)また、毎年教会収入の20%は教会の外のミニストリーに使われています。もちろんお金だけでなく、海外宣教や地元のコミュニティーのためのミニストリーを通して多くの教会員が教会の外に出て行き、人々に仕えています。
 
 沼地だったテンス教会に、神が再び聖霊の流れを呼び入れてくださいました。確かに日本の風土には、沼地的な要素があるかもしれません。しかし、神は沼地にも再び流れを生じさせ、川の一部とすることができるお方だと私は信じています。信仰と勇気を持って、神のみことばに従っていくときにそのことが起こると信じています。
今回のケンの原稿は急遽予定を変更して、まだ記憶に新しいフランクリン・グラハムのものにしました。アメリカのクリスチャニティー・ツデーの今月号には、原文が掲載されています(その記事はこちらから)。次回のニュースレターは、7月の初め頃を予定しています。ニュースレターに関するご意見、ご感想などがございましたら、sakikoshigematsu@hotmail.com(重松早基子)までご連絡ください。みなさまのイースター礼拝が、主の復活のいのちに溢れたものでありますように。






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