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夏に私がすること
ケン
1996年にテンス教会の主任牧師になったとき、それまでの私の説教経験はごく限られたものでした。日曜日はまるで3、4日おきにやって来るかのように思え、何を説教するかに最も不安をおぼえました。牧師に就任した最初の夏を振り返ってみると、いくつかあった手持ちの説教を再利用していたことがわかります。それらがなくなると、パニックに陥りました。2ヶ月後には、空になった樽の底から説教材料をかき集めているように感じました。当時の私の説教と言えば、基本的に聖書箇所とフットボールからの例話、そしてC・S・ルイスからの引用だけでした。

現在テンス教会では、持続可能で、願わくはいのちを与えるような説教にするために、 新年度が始まる9月から6月までの10ヶ月間(夏の説教シリーズは副牧師のひとりが春に計画を立てます。)の説教シリーズの計画を毎年夏の間に行っています。私にとって夏は、長期的な説教計画を立てるのにいい時期だと感じています。というのも、夏の間日々の細々とした仕事から離れることができ、前年度の説教をふりかえることができるからです。新年度に向けて神の導きを祈り深く求める時間もあります。毎年夏の間、大抵私は2、3週間説教のための学びと計画に時間を費やし、それから2、3週間の休みを取ります。(ニューヨーク市のリディーマー長老教会で長年主任牧師を務めたティム・ケラーは、夏に学びのために1ヶ月、さらにバケーションのために1ヶ月取っていると私に教えてくれたことがあります。毎年このリズムで過ごすと、長いサバティカル(研究休暇)を取る必要がないと感じたそうです。)

とは言え、夏にすべての説教シリーズをゼロから計画し始めるわけではありません。私のコンピュータには「保留説教」というファイルがあります。1年を通して、聖書や本を読んだり、人との会話を通して説教シリーズのアイデアが与えられる度に、このファイルの中に可能性のある説教シリーズのアイデアを書き留めておきます。

私が初めて説教し始めた頃、トロントにあるヤング・ナク教会のベテラン牧師であるミノー・ソングに次のような質問したことがあります。「その日曜日に何を説教したらいいのか、どのようにしたらわかるのですか。」彼はひとつの三角形を描いて、底辺に「みことば」と書き、説教の根底はみことばでなければいけないと説明しました。次に、三角形の左側に「(コミュニティーの)必要」と書き、「あなたが説教する人々にはどのような必要があるか、自分に問いかけてみてください」と言いました。最後に右側に「聖霊」と書き、「あなたの心の中で聖霊は何をしておられますか。聖霊はあなたの内側で何を示しておられますか」と尋ねました。それ以来、ある特定の日曜日だけに限らず、説教シリーズを計画する時も、私はこの三角形を用いて何を説教するか判断するようにしています。

知恵があり、経験豊かな牧師は、新旧両方の聖書からバランス良く説教するようアドバイスしています。このアドバイスに従うため、秋は旧約聖書に基づいたシリーズを説教するようにしています。例えば、昨年秋は詩篇から「神に正直になる」というシリーズを説教しました。 神に対して正直な気持ちを表現しているさまざまな詩篇、例えば、怒り(詩137)妬み(詩73)落胆(詩42)などを他の牧師と共に取り上げました。

次に、アドベントはクリスマスに向けたシリーズをします。新年からは、大抵福音書の中からシリーズを行い、それがイースターまで続きます。今年は「主の祈り」シリーズをしました。イースターの後は使徒の働きか、手紙の中からシリーズを行うことが多く、聖霊に焦点を当てます。現在、ヨハネの福音書のイエスが十字架にかけられる前に語られた会話や使徒の働きから、「聖霊に満たされた生き方」シリーズを行っています。(6月25日でこのシリーズは終わりました。)

どの年も、私たちの教会では三位一体を意識して説教シリーズが作られます。秋は父なる神、イースター前は子なるキリスト、そしてイースター後は通常聖霊に焦点を当てます。

夏の間、9月から6月の終わりまですべての日曜日の日付を書き出し、聖書箇所、そしてその時点で考えている説教の概要などを綿密に割り当てます。このプロセスは大抵、3日から1週間ほどかかります。

以前は注解書を参考にして、計画した各説教に半ページほどの要約をつけていました。しかし、実際説教準備を始める頃にはその要約は新鮮味を失い、あまり役に立たないように感じました。今では、実際準備を始める時には変わる可能性があることを考慮しつつ、わかる範囲で要点だけをあげています。(計画が進むにつれて、各シリーズも変わる可能性があります。夏に計画を立てるので、秋に説教する内容はほぼ確定していますが、春に行う説教に関しては2つほど別のシリーズも用意しています。)

知人の中には、説教を6ヶ月、あるいは3ヶ月単位で計画する牧師もいます。どれほど前もって説教を計画するかは、牧師の性格や牧会している環境にもよります。1年単位で説教シリーズを計画する利点は、その年全体の流れをつかむことができる点にあると思います。特に夏に計画すると、学びの時とその後のバケーションを合わせて、来る年に計画している説教シリーズのための参考文献を前もって読むことができます。例えば、この秋私はアブラハムとサラのシリーズをする予定です。その準備として、この夏はホメロスの長編叙事詩『オデュッセイア』を読む予定で、このシリーズを通して私たち自身の信仰の「冒険の旅」に目が向けられればいいなと願っています。(訳注:主人公オデュッセイア(Odyssey)が冒険の旅に出たことから、英語でodysseyは冒険の旅を意味する。)

新年度に「7つの大罪」シリーズをすることがわかっていた夏は、コーネリアス・プランティガの著書『そうすべきではなかった』(日本では未刊)を読み、ある夏は「真の偉大さ」シリーズに役に立つかもしれないと思い、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を読みました。昨年私たちは黙示録のシリーズをしましたが、もし、あなたが黙示録から説教をするなら、黙示録の学者でない限り、グレッグ・ビールズの注解書か、ダレル・ジョンソンの『境界における弟子訓練:黙示録をめぐる旅』(日本では未刊)など時間をかけて多くの本を読む必要があるでしょう。

余裕をもってシリーズを準備するその他の良い点は、私の説教がバラエティー豊かに、大切なテーマを取り扱っているか自己評価する時間が与えられることです。新旧両方の聖書から説教しているか、求道者やクリスチャンになったばかりの人にとってわかりやすく、また信仰歴の長い人にとってもチャレンジを与えるようなシリーズを説教しているだろうか、と問いただすことができます。私の場合、毎年夏に過去数年間の説教を振り返ることを重要視しており、こう自問します。「十字架、赦し、お金、セックス、仕事、弟子訓練、神聖、霊的修練、コミュニティー、友情、正義、証し、試練や導きなどのテーマを定期的に語っているだろうか。」

「かなりひどい説教者は1つか2つの説教しか持っておらず、それをただくり返すだけ。いい説教者は7つか8つの説教を持って、それをくり返す。一歩下がって、過去5、6年にあなたがした説教をふり返るとき、バラエティー豊かに説教しているかどうか判断することができる」と、ボストン郊外にあるグレイス・チャペルで長年牧師を務めたゴードン・マクドナルドは言います。

理想を言えば、 私たちもパウロのように自分のミニストリーを振り返ったとき、「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせました」(使徒二十・二十七 )と言えるようになることです。

計画的に準備することで得るものは多いものの、すぐにその結果がわからないものもあります。最も直接的な結果は、あなたの説教が良くなることです。今後説教する聖書箇所やテーマが頭に入っていると、日頃の読書や経験、会話から幅広く適切なネタを集めることができます。ご存知のように、説教において的確な例話は大きな違いを生みます。以前日本でもセミナーを行った「創造力のピークを生かす」(その原稿はこちらから)では、説教のために長い準備期間を設けることにより、よりクリエイティブなアイデアが浮かぶことについて書きました。

2つ目に、ただ説教が良くなるだけでなく、礼拝全体が良くなります。ワーシップとアート担当チームが説教のテーマに合った音楽やアート的要素の準備に時間を割くことができ、礼拝全体が一つに統合された形で行うことができます。子供のミニストリーでも、大人が聞く説教とリンクして、すべての年齢層に合った教えを計画することができます。

最後に、あなたはより良い牧師になります。カリフォルニアのメンローパーク長老教会の主任牧師ジョン・オートバーグは、かつてこう私に打ち明けてくれたことがあります。日曜日が近づいてから説教の準備にかかっていたときは、説教中も不完全な箇所が気になり、常にそのことで頭がいっぱいになっていたそうです。週の早い時期に説教を準備することによって、人々とより向き合って説教することができるようになったといいます。前もって説教シリーズを計画していれば、それぞれの説教を十分に準備することができ、そうすることで人々と向き合うこともできます。このリズムから、より豊かな平安と祈りも生まれます。

テンス教会で牧会を始めてから20年以上経ちますが、「今年は何を説教したらいいだろう」とか、「ここで何か新しく、新鮮なことを語るにはどうすればいいだろう」と私は未だ自分に問いかけています。しかし、前もって準備をしていれば、語る材料を樽の底からかき集める必要はなくなります。なぜなら、神の知恵と洞察力によって樽が満たされる時間が与えられるからです。それが起こるとき、説教が力強く実り豊かになるばかりでなく、確かに説教準備は大変な作業ですが、それを楽しみながら行うことができるようになります。
 
英語の原文はこちらから

 

気質に合ったミニストリー
早基子
今日7月1日、カナダは建国150周年を迎えました。結婚してカナダに住むようになって以来、イギリス、そして時期は違っても共にイギリスから独立したアメリカとカナダは個性が違う三兄弟のようだと思うようになりました。これは私の全くの独断と偏見ですが、長男イギリスはちょっと神経質だけれど、まじめな秀才タイプ、次男アメリカは自己顕示欲が強く、自分が一番にならないと気がすまないけれど、勉強・スポーツ、そして社交面でもずば抜けた才能を発揮、そして三男カナダは、二人の兄に比べると、取り立てて秀でたところはないけれど、とにかくおおらかで、人がいいという印象です。

私たち人間も、同じ親から生まれた兄弟・姉妹であっても、神によってユニークな存在に造られ、それぞれかなり違います。ケンの新しい本( 8月にアメリカのゾンダーヴァン社に原稿を送り、北米では2018年夏の刊行予定)の中でも、私たちの気質によって効果的な霊的修練法が異なってくることが述べられています。すべての霊的修練は神との関係を深めることが目的であり、「修練」という堅い言葉が使われていても、基本的に私たちにいのちや喜びを与えるものです。しかし、それらの修練が長続きしない理由の一つは、その人に合っていない修練法を選んでいるからではないでしょうか。そのため、喜びを得るどころか、霊的修練が重荷や苦痛となっている可能性があります。

ケンの本では、さまざまな気質に有名な聖人の名前をつけて分類しています。例えば、イグナチオ(聖イグナチオ・デ・ロヨラ)タイプの人(北米では40%のクリスチャンがこのタイプ)は実際的な奉仕をすることに喜びを感じ、組織だったものや決められた枠組みの中で働く時に神の御臨在を感じると言います。フランチェスコ(アッシジの聖フランチェスコ)タイプの人(38%)は、自然や芸術(絵画や音楽、小説)を通して、あるいは友達との会話を通して、最も神と深く交わることができます。このタイプは、枠組みがあるより、もっと自由な形式を好みます。アウグスティヌス(4〜5世紀の神学者)タイプの人(12%)は哲学的で、神や人生の意味を観想的に求めます。わずか10人に1人程度の割合ですが、霊的なリトリートに行く人の半数以上は、このタイプの人です。トマス(13世紀の神学者トマス・アクィナス)タイプの人(10%)は、頭を使って知的に神に近づく人たちです。彼らは、みことばの学びやクリスチャンの本を読むことを通して神を知ることを好みます。

クリスチャン全体の割合から見れば、トマスタイプは最も少ないのですが、教会でみことばの学びが最も強調されているのは、牧師の間でトマスタイプが圧倒的に多いからだとケンは指摘しています。確かにみことばの学びは大切ですが、他にもさまざまな方法で神を知り、神との関係を深めていくことができます。トマスやイグナチオタイプの必要は従来の聖書勉強会や教会奉仕で満たされ、また、アウグスティヌスタイプは一人で観想的に神を求めることを好みますが、フランチェスコタイプの人に合うミニストリーや霊的修練を提供している教会は少ないのではないでしょうか。

これまでもテンス教会の特長のひとつに多様性をあげてきましたが、スモールグループの内容も多種多様です。おそらく、ケンがトマスタイプでないことも影響しているのでしょう。例えば、ジョギング・チームやハイキング・グループ、野菜作りグループなどもあります。サイクリング・チームはあまりにもハードすぎて(2週間に一度、3時間ほどサイクリングで遠出します。)女性の参加者は一人もいないそうです(笑)。

5月の第一日曜日に毎年バンクーバー・マラソンが開かれますが、テンスはワールドビジョン・カナダと提携し、人身売買された女性や子供を救うチャリティー・マラソンとして毎年参加しています。走るのが好きな人ばかりでなく、礼拝説教やセミナーで人身売買の実情を知り、自分にも何かできることをしたいと思った人たちの参加も多いようです。(中には、体が不自由な人もいます。)そのため、経験豊かなトレーナーの元で半年近く一緒にトレーニングをする機会を設けています。 トレーニング中も、マラソン当日も、仲間と共に祈りつつ、助け合い、励まし合いながら走る姿は、寄付に協力して応援する側にとっても感動的です。

教会の外で、また聖書が開かれていなくても、言葉や行いから自然に神の愛や信仰が表れるようなスモールグループやミニストリーがあってもいいと思います。どのような形であれ、私たちの心が神やまわりの人々、そして真実な自分の姿に向けられるような霊的修練が理想です。

ふたりの優秀な兄である、イギリスとアメリカはシリア難民や他国に対して排他的な態度を取るようになりましたが、経済力でも兄達に劣るカナダは今では世界で最も難民に対して寛大でやさしい国の一つになりました。(テンス教会は、シリアからだけでなく、イラク、アフガニスタン、ミャンマーからの難民受け入れスポンサーとなり、難民家族や個人の生活を助けています。)カナダはイギリスやアメリカのようになれないし、なる必要もありません。教会も、すべての人が同じことをするよう求めるのではなく、多様性を受け入れるようになると、それぞれユニークな存在に作られている私たちがいきいきと神を求めるようになるのではないでしょうか。
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